最初のブログ: 最近思うこと
BlogとかTechとか、Jekyllは記事をカテゴライズできるみたいなので折角なのでBlogカテゴリの記事も書いてみようというモチベーションでブログを書く。普段はもっぱらコードを書いているので、純粋な活字のみでブログを記述し、己の自然言語のタイピングスキルを上げていきたいとも思ってて、丁度良い。なんの根拠も無しに、ただ思うことを無責任に書くというのは、なんとも気分が良いものである。
自然言語といえば、最近、生成AIが流行っている。生成AI界隈では、ありきたりな技術を横文字を使うことでさも新しい技術のように紹介する傾向がある。例えば、「ファインチューニング」だとか「グラウンディング」だとか。調べてみれば、大した事がない。元々人間は、隠語等を使い、言語を壁にして閉鎖的で風通しが悪いコミュニティを形成しがちであるので、多少カタカナを並べる事は仕方がないとは思うのだが、SNSなどではそれを悪用した「プロ驚き屋」みたいなものも出てきて界隈は混沌を極めている。「これを使っとけば間違いない」だとか「〜が最強」だとか。彼らが言うには、生成AIを使えばなんでも出来るとのことだが彼らが自ら、手作業で「驚きポスト」をしているのを見るに、そうではないのは明らかである。(無論、彼らから得られる情報は単なるGoogle検索に劣るので、SNSのブロックがおすすめである)
もし仮に生成AIが「最強」の終着点を持つとすれば、無限大のコンテキストウィンドウを持つことだろう。しかし、それが実現できないことはヒトの持つニューラルネットワークが証明してくれている。ヒトには寿命があり、アポトーシスや痴呆によって能動的に退化するようにプログラムされている。これは進化の為の多様性の維持という側面と、負の記憶の能動的削除という側面がある。前者は、複数の生成AIモデルを、全く異なる情報リソースのみでファインチューニングすることで実現可能かもしれない。しかし、少なくとも、人間が認識できる情報は、人間という切っても切れない関係性を持つため、全く異なる情報リソースとは言えない。後者は、将来負の記憶となり得る記憶、というものを完璧に予測しなければならない。ヒトの場合、死の恐怖を忘れ、受け入れる為に痴呆になる、という説がある。それは寿命という避けては通れない脳の退化が前提となっている。つまり、生成AIは、地球上のエネルギーが食い潰されない限り永遠と負の記憶を蓄積し、さらには増大させる可能性を秘めた、非常に危険な存在なのである。
コンテキストウィンドウといえば、日本人は、おそらく、生成AIをうまく使うことが出来るのだろう。現代の日本語は、異常な意味的濃度を持っている。例えば、「パリピ」とか「ピ」とか、が最たる例である。「ピ」は「ある程度軽い関係性の交際中の異性」のことらしいのだが、一文字でこれほどの意味を持たせる人種はないのではないかと思う。このように、「極度に意味が圧縮された」言語を使用する事で、昔ながらのzip爆弾のように、生成AI側で大きく膨らんだ解釈をさせる事が可能となる。その場合、消費されるコンテキストウィンドウは非常に少ないにも関わらず、意図したとおりに生成AIを操る事ができる。Twitterで「ファインチューニング」とか「グラウンディング」とか言ってる場合じゃない。これからは「ピと別れてマジ、チョベリバなんですけど」なのである。
Twitterは技術記事を提供する場ではないのので良いのだが、最近はそのような輩が国内で記事を公開するプラットフォームにも発生している。プラットフォームは具体的には、NoteやQiita、Zennといったものがある。これらは基本無料であり誰でも書き込めるので、初期投資無しで「プロ驚き屋」を始められる。そして、厄介なことに、これらのプラットフォームは「人気の記事」「関連する記事」など、エコーチェンバー的な機能がビルトインされている。つまり、注目された記事がさらに注目を集めるという仕様になっている。これがあるが故に、その仕様を悪用した記事の書き方をする輩が増えた。
技術記事もプロ驚き屋や生成AI様に召し上げられる時代であるので賞味期限切れの記事は自動的に消えていってほしいのだが、サブスク等の延命治療サービスや、リツイート等の拡散手段が普及した現代においては情報の終活が難しくなっている。これはインターネット全般に言える話であるが、今のところ、情報の終活をするには偽の情報を流布させるくらいしか無いと思っている。つまり、一度公開された情報そのものは無くせないが、情報の信憑性を損なう事は出来るのではないかということである。
情報の信憑性、つまり「信用」は、誰でも損なう事ができるし、無から作成することもできる。「無から」というのは、例えば、国家が国債を発行し無から資金調達を行うように、信用創造というプロセスを経て行われる。我々の持つ現金は、あくまでその他のアセットとの相対評価によって信用価値が決定する。そして、残念ながら、その他のアセットは(信用価値はともかくとして)その種類が増え続ける一方であり、我々の持つ現金の信用価値は減っていくのである。このように、日々進化を続ける領域においては、ほっといても信用価値は損なわれることになる。
信用価値を情報の信憑性に無理やり紐づけると、生成AIはその他の生成AIによって駆逐され、進化できるということになる。実際に、今のところは、そのような状態になっている。しかし、これも界隈の言う「蒸留」という概念によって怪しい状態となっている。「蒸留」は生成AIの劣化コピーである。それ自体が廉価版であり、オリジナルを駆逐するほどの信用価値を持たない為、オリジナルを引き立たせる脇役ポジションとなり、多様性を阻害し進化を止める要因となる。
ここまで来ると、資金力を注入し続ける企業が信用価値の独占状態になる危険性がある事が分かる。つまり、地球上のエネルギーが食い潰されない限り永遠と負の記憶を蓄積し、さらには増大させる組織が出てくるということになる。人生を燃料にして燃やし尽くす資本主義・自由主義の集大成が出来上がる。
以上、2500文字くらい? 途中考えるより先にタイピングしてたので、意味不明な文章だね。